はじめまして。プランナーのKatzと申します。
学生時代から憧れだったゲーム業界に入ってからはや十と○年。
日々のいろいろと格闘しながら過ごしているうちに
いつの間にやら40代の足音がすぐそばに聞こえてくる年頃になっていた
古参の企画屋さんでございます。
これだけの間、ゲームのお仕事を続けていながらも、
自分で自分に「オマエ、どんだけゲーム好きなんだよ」と聞いてしまうほどに
「ゲーム」という表現形態への愛はまったく衰えを知らず、
今日も今日とて「ユーザーに喜んでもらえる面白いゲームってなんだ?」と自問自答しつつ、
新たなゲームの企画を考えたりするのです。
で。
ゲームに限らず、世の中のいろいろなものの企画全般に対して有効だと思うのですが、
「良い企画」とは何ぞや?を示すひとつの言葉として、
「ありそうでなかったもの」を生み出す、というものがあります。
(※ここで若手プランナー、「はいはい、おじいちゃん。またその話ですか?」と苦笑い。)
これを自分なりに解釈すると、その企画が形になって世に出た時に、
「ああ! そうそう! そういうのが欲しかったんだよ!」と言われるものを作る、
ということだと思うわけでして。
シリーズものとか、ある程度内容が決まっているものの企画をする時は別として、
アイデアに制限がかかっていない、まったくのオリジナル企画を考える時には、
常にこの言葉を頭に置いていろいろ考えるようにしています。
……ですが、この言葉、何度考えても本当に奥が深い。
この「ありそうで、なかったもの」の、「ありそう度」と「なかったもの度」のさじ加減が
絶妙じゃないと成立しない。
「ありそう」というのは、「みんなが知ってるもの」「すでにわかっているもの」であり、
自分で勝手に定義した言葉によるところの、「わかるの領域」にあるものです。
一方、「なかったもの」(企画として世に出る前の段階では「まだないもの」)は、
世の中に存在しないので、誰も見たことがないし、誰もわからないもの。
つまり、「わからないの領域」に属するものです。
ここで、自分の考えた企画アイデアがあったとして、
それが「わかるの領域」の方にバランスが寄っていると、
それはもうみんなが知っているものなので、きっと誰かが同じことをとっくに考えています。
あるいは改めて調べてみると、実はもうすでにもう世に出ているものがあったりとか。
なので、これは「わかる」んじゃないかな、「ありそう度」が高めなんじゃないかなと感じたら、
たいていそのネタはアウト。
新規性がなくてあまり興味を持ってもらえなかったり、「そのぐらい誰でも考えつくよ」と
思われてしまうことが多いです。
また、「わからないの領域」の方にバランスが寄っていると、
わからない=他の人の共感性が少ないので、やっぱり興味を持ってもらえません。
自分がどんなに面白いと思っていても、「よくわからん」と言われて終了です。
そこをなんとか、と、どんなに必死に説明しても、
やっぱり自分の考えていることが全部相手に伝わるわけではないし、
仮にその人はなんとか説得できたとしても、その先の、自分が直接説明することができない
ユーザーの皆様に向けてモノを作るというビジネスとしての観点からすると、
「よくわからん」ものは成立しようがないと思うわけです。
ひとりよがり、よくないですね。
ということで。
「わかるの領域」に寄りすぎず、「わからないの領域」にも寄りすぎないような、
いいカンジの立ち位置のアイデアこそが「ありそうでなかったもの」の栄冠を得ることができ、
ヒットの可能性を秘めた企画になれるのではないか、と思うのです。
……もっとも、「わかる」「わからない」だけではない別の評価軸も確実に存在するので、
「ありそうでなかったもの」を見つけさえすればそれでオールオーケー、というわけでも
なかったりするんですが……。

これがいま考えている企画の企画書です。(お見せできませんが……。)
立ち位置としては「ありそうでなかったもの・やや『なかったもの』風味」あたりで、
可能性はあるんじゃないかな~、と思いつつ、やっぱりいろいろ悩んだりしているところです。
もし「自分は『ありそうでなかったもの』を思いついた!」という方がいらっしゃいましたら、
ぜひそれを持ってゲーム業界に(できれば弊社ヘ!)乗りこんでみてください。
多分それ、わりとイケてるんじゃないかと思います。
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